支度中…
寺子屋の随筆
つれづれなるままに。KDP・Kindle出版のこと、副業や税やお金のこと、FIRE、 最近読んだ小説や雑誌、世の中のこと——肩の力を抜いて綴ります。ほぼ毎日、少しずつ。
自分で本を出すようになってから、書店に入ったときの目つきが変わってしまった。買う人としてではなく、並べられる側として棚を眺めている。少し損をした気もするし、少し得をした気もする、そんな話です。
2026年8月13日
Kindleで本を出していることを、家族にまだ話せていない。隠しているわけではないのに、言葉にするタイミングだけがずっと見つからない。そんな宙ぶらりんの日々の話。
2026年8月11日
表紙も本文も、書きたいことを全部のせようとして、いつも文字が多すぎた。減らすのが怖かった時期の話と、余白のほうが読者に効くと気づいた日のこと。
2026年8月8日
読み終えた本の感想を、レビューにも投稿せず、ノートの隅に書きためている。誰にも届かないその一行を、なぜ書いているのか。書く側になってから、少しだけ答えが見えてきた気がする。
2026年8月7日
書店でもKindleでも、まず目次から開くようになった。表紙でも帯でもなく、目次。書く側になってから、あの数十行に本の設計図が透けて見えるようになった、という話です。
2026年8月6日
パソコンの中に、書きかけのまま止まった原稿フォルダが七つある。捨てるでもなく、進めるでもなく。放置した原稿と、どう付き合っていくかという話です。
2026年8月5日
出してから半年、レビューも感想もゼロのまま静かに並んでいる本が、私には一冊ある。放っておくのが正しいのか、手を入れるべきなのか。その本の前で立ち止まった話です。
2026年8月4日
自分の本を、期間限定で0円にしてみた。値段をつけるのとは違う種類の勇気がいる。何も起きなかった初日と、数週間後にひとつ増えていたレビューの話。
2026年8月3日
毎朝ニュースアプリを一時間眺めていた頃と、朝は開かなくなった今。情報を追う量が減ったら、書けることは減るのだろうか。しばらく試してみて、思ったことを書きます。
2026年8月2日
出版してからというもの、朝いちばんに見るのはレポート画面でした。ある日ふと、今日は見ないでおこうと決めてみたら、思っていたより静かな一日がやってきたのです。
2026年8月1日
原稿が一行も進まない日がある。そういう日は、私はもう書かないことにした。かわりに机を片づける。それが遠回りに見えて、案外そうでもなかった、という話です。
2026年7月29日
売れた冊数とは別に、読まれたページ数という数字がある。冊ではなくページで届くその報告を眺めながら、指標との距離感について考えた夜の話です。
2026年7月27日
表紙を自分で作るか、誰かに頼むか。決めきれないまま三冊出して、ようやく自分なりの答えらしきものが見えてきた。その、まだ途中の話です。
2026年7月26日
電子書籍しか出してこなかった私のもとに、初めて紙の見本が届いた。段ボールを開けるとき、少しだけ手が止まった。画面の中にしかなかったものが、その日、重さを持っていた話。
2026年7月25日
原稿は書き終えた。表紙も決めた。あとは押すだけ。それなのに、私はその三分間、椅子の上でずっと固まっていた。あの妙な緊張の正体を、今になって考えている。
2026年7月24日
本を出すと、時々ひとから感想をもらう。ありがたいはずなのに、返す言葉がうまく見つからない。あの気まずさの正体を、少しだけ考えてみました。
2026年7月23日
読み放題で本が読まれると、めくられたページの分だけ数字が積まれていく。その数字は、どこまで読まれたのかを、静かに教えてくれる。時々、少しだけ痛いところも。
2026年7月22日
白紙の画面がこわくて原稿が止まった日、本文をあきらめて目次だけを書いてみた。それが今では、私のいちばんの執筆術になっている。地図を先に描く、という話。
2026年7月21日
五十ページの本を出そうとして、指が止まった。こんなに薄くていいのか、と。厚みで価値を測る癖は、いつのまにか自分の中に住みついていた。その癖と、静かに向き合った夜の話です。
2026年7月20日
一冊目は勢いで出せた。けれど二冊目の前で、私はしばらく立ち尽くしていました。書けない理由を数えるうちに見えてきた、続けることのほんとうの正体について。
2026年7月19日
会社員時代は締め切りに追われていた。個人で本を出すようになって気づいたのは、誰も締め切りをくれない、という当たり前の事実だった。追う相手がいない自由と、その静かな難しさについて。
2026年7月18日
星の数より、たった一行の言葉のほうが胸に残る。見知らぬ誰かからのはじめてのレビューを、私はしばらく開けずにいた。あの数日の、落ち着かない心の話を書いてみます。
2026年7月17日
著者名の入力欄で、手が止まった。本名でもない、けれど嘘でもない名前を、どうやって決めればいいのか。原稿より、たった数文字のほうが、ずっと難しい夜があった。
2026年7月16日
紙の本と違って、電子書籍は出したあとでも直せる。最初はありがたいだけだったその自由が、いつしか少し重たくなってきた。「完成」の来ない本と、どう付き合うかという小さな話。
2026年7月15日
出した本の数字が、何日も動かない。そういう静かな日を、どう過ごすか。落ち込む日ではなく、種をまく日にできると、続けるのが少し楽になる。
2026年7月14日
副業の収入が出はじめて、まっさきに頭をよぎったのが確定申告。得体の知れないこわさの正体は、たいてい「知らない」だけだった、という話。
2026年7月13日
KDPは「一人で本を出せる時代」をつくりました。でも、一人は心細い。原稿を誰にも見てもらえない、これでいいのか分からない——その心細さを、少しずつ仕組みで埋めています。寺子屋がまた小さく変わった話。
2026年7月12日
はじめて本が売れて、口座に入った金額は、缶コーヒーが数本買えるくらい。それでも、あの入金通知ほど胸が高鳴ったお金を、私は他に知らない。
2026年7月11日
早く書き上げたくて、章まるごとをAIに書かせてみた。読み返して、結局すべて消した。無駄だったかというと、そうでもなかった、という話。
2026年7月10日
はじめての本に、いくらの値をつけるか。安くすれば読まれる気がして、でも安っぽく見えるのもこわい。あの夜、設定画面の前で長いこと固まっていた話。
2026年7月9日
年収が上がっても、ある額を超えると幸福度はあまり変わらない、という有名な話。お金と幸せの距離感について、KDPで小さく稼ぐ人たちを見ていて思うことを書きます。
2026年7月8日
経済的自由を手に入れて、働かなくてよくなった人たちが、なぜかその先で文章を書きはじめる。FIREのゴールの、さらに先にあるものについての雑感です。
副業を始めたい、でも何から手をつければいいかわからない。在庫を抱えるのも、初期投資も怖い。そんな人にとって、書くという副業がなぜ入口に向いているのかを考えます。
読み手として物語に浸る楽しみと、書き手として「どう作られているか」を盗み見る楽しみ。本を出す側になると、読書の景色が少し変わります。最近の一冊から。
SNSでバズる、検索でバズる。誰もが一度は憧れる言葉だけれど、その正体は案外地味です。KDPのキーワード設計という、いちばん現実的な視点から「バズ」を分解します。
買ったのに読んでいない本が、棚に何十冊もある。うしろめたさの正体を、少し違う角度から眺めてみると、あれは負債ではなく在庫なのだと思えてくる。
2026年7月7日
ほんの寺子屋に、随筆コーナーをひらきました。KDP出版のこと、お金のこと、最近読んだ本のこと。肩の力を抜いて、ほぼ毎日、少しずつ書いていきます。
Kindleの検索結果に並ぶあなたの本は、親指サイズのサムネイル。読者がスクロールする手を止めるかどうかは、ほんの一瞬で決まります。中身より先に、表紙の話をします。
本が売れてお金が入ってきた。うれしい。でも、これって税金はどうなるんだろう。副業でKDPを始めた人がいちばん最初にぶつかる不安を、一般論として整理します。