Kindleで本を出していることを、家族にまだ話せていない。隠しているわけではないのに、言葉にするタイミングだけがずっと見つからない。そんな宙ぶらりんの日々の話。
私はKindleで本を出していることを、家族にまだ話していない。隠している、というほど大げさなものではない。言うタイミングを逃し続けている、というのが正確なところだ。ペンネームで出しているから、家の本棚に並べない限り、向こうから気づかれることもない。気づかれないまま、もう何冊か出してしまった。
夕食の席で、何度か迷った
打ち明けようとしたことは、実は何度かある。夕食の席で、テレビが副業の特集をやっていたときなどは、絶好の機会だったと思う。「実はさ」と切り出せば、それで済んだはずだ。でも口から出たのは「ふうん、いろんな人がいるね」という、ずいぶん他人事めいた相槌だった。
なぜ言えないのか、自分でも考えてみた。売れていないから恥ずかしい、というのが半分。もう半分は、たぶん逆で、この小さな営みを自分だけのものにしておきたいからだ。誰にも報告しない趣味というのは、思いのほか居心地がいい。感想を求められることも、進捗を訊かれることもない。書きたいときに書き、出したいときに出す。その自由の値段が「誰にも言わない」なのだとしたら、安い買い物のような気もしている。
ちなみに、印税がある程度たまると銀行口座に振り込まれるので、通帳を家族と共有している人は、そこから静かに発覚することがあるらしい。振込の条件やタイミングは変わりうるので、最新はKDP公式で確認を。私の場合は金額が金額なので、通帳の海に紛れて誰の目にも留まらない。これを寂しいと呼ぶべきか、平和と呼ぶべきか、まだ決めかねている。
秘密は、引き出しに似ている
子どものころ、机の引き出しの奥に、拾ってきた石だとか、意味もなく取っておいた映画の半券だとかを入れていた。誰かに見せるためのものではない。ときどき引き出しを開けて、あることを確かめるだけで満足だった。
いまの私にとって、KDPの管理画面はあの引き出しに近い。夜、家族が寝静まってからそっと開く。売れた日もあれば、何も動かない日もある。どちらでも、そこに自分の本が並んでいるのを眺めると、引き出しの石を確かめたときと同じ、小さな安堵がある。世間ではよく、副業は家族の理解を得てから、と言われる。正論だと思う。ただ、理解を得る前の、この誰にも属していない時間にしか育たないものも、あるような気がしている。
いつか、見つかる日のこと
それでも、いつかは見つかるのだろうと思う。うっかり画面を開きっぱなしにするか、酔った勢いで自分から白状するか。あるいはずっと先、私がいなくなったあとに、アカウントの整理か何かで発見されるのかもしれない。
そのとき家族が、あの人こんなものを書いていたのか、と呆れながらページをめくってくれたら、それはそれで悪くない。石ころだと思って拾ったものが、あとから誰かの手のひらで少しだけ光る。そんなことが、あってもいい。
今夜も食卓では、本の話は出なかった。私は茶碗を洗いながら、次の一冊の目次を、頭の中で静かに並べ替えている。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

