原稿が一行も進まない日がある。そういう日は、私はもう書かないことにした。かわりに机を片づける。それが遠回りに見えて、案外そうでもなかった、という話です。
朝、パソコンを開いて、原稿ファイルを呼び出して、カーソルが点滅しているのを十五分ほど眺めた。それだけで、その日の午前が終わったことがある。
一行も書けていない。いや、正確には三行書いて、三行消した。差し引きゼロ。ゼロというのは何もしていないのと同じはずなのに、なぜか疲れている。書けなかった日というのは、書いた日より消耗する。
以前の私は、そこで粘っていた。粘れば出ると思っていたし、粘らない自分を怠け者だと思っていた。締め切りを自分で決めている以上、サボる言い訳はいくらでもつくれる。だから逆に、必要以上に自分を追い立てていたのだと思う。
片づけは、逃避ではなかった
ある日、あまりに書けないので、諦めて机の上を片づけはじめた。積み上がった資料をどける。二か月前のレシートを捨てる。マグカップを洗う。ペン立ての中の、もう出ないボールペンを三本抜いた。
三十分ほどで机が空いた。空いた机を見て、それでもまだ書く気は起きなかったので、その日はそのまま閉じた。
翌朝、続きを開いたら、すんなり書けた。
因果関係はわからない。ただ寝たから回復しただけかもしれないし、机とは何の関係もないのかもしれない。それでも、その日以来、私は「書けない日は片づける日」ということにしている。決めてしまうと、書けなかったことが失敗ではなくなる。それが一番ありがたかった。
書けない状態というのは、たいてい、頭の中に置き場所のないものが散らかっている状態と似ている。何を書くか決まっていない。決まっているつもりで、実は二つの話を一つにしようとしている。あるいは、まだ調べ足りない箇所を無意識に避けている。そういう「未処理」が机の上のレシートみたいに溜まっていて、手が止まる。
机を拭いている間、手は動いているけれど頭は空いている。その空き時間に、どうやら整理がかかるらしい。少なくとも、点滅するカーソルを睨んでいるよりは、頭に余白ができる。
進捗ゼロの日を、どう記録するか
私は執筆の記録を簡単につけている。日付と、その日書いた文字数だけ。以前はゼロの日を書かなかった。書くのが嫌だったからだ。空欄のまま飛ばして、翌日の記録から再開していた。
今はゼロの日も書く。ゼロと書いて、その横に「片づけ」とか「資料読み」とか、実際にやったことを一言添える。
そうして一か月分を並べてみると、ゼロの日は思ったより少ない。体感では半分くらい書けていない気がしていたのに、実際には二割か三割だった。人間の体感というのはあてにならない。書けなかった日の記憶だけが、やたらと粘り強く残るようにできている。
そしてもうひとつ気づいたのは、ゼロの日の翌日は、平均より少しだけ進んでいることが多かった。これも統計と呼べるほどの数ではないので、法則だと言うつもりはない。ただ、自分の手元の記録がそう言っているというだけの話だ。
出版まわりの手続きや条件は時期によって変わるものなので、細かい数字が必要なときは最新はKDP公式で確認をしていただきたい。ただ、書けない日の扱い方みたいなことは、たぶんどこにも書いていない。各自が勝手に決めるしかない。
明日の自分に、少しだけ渡しておく
片づけのついでに、最近ひとつ習慣を足した。その日書けなかったとしても、原稿の末尾に、次に書く予定の一行だけメモしておく。

