自分で本を出すようになってから、書店に入ったときの目つきが変わってしまった。買う人としてではなく、並べられる側として棚を眺めている。少し損をした気もするし、少し得をした気もする、そんな話です。
先週、久しぶりに大きめの書店に行った。特に買うものがあったわけではなく、雨宿りのつもりで入っただけだった。それなのに、気づけば一時間近くいた。
昔は、こうではなかったと思う。前は「読みたい本があるか」だけを見ていた。今は、棚そのものを見ている。どの本がどの高さに置かれているか、帯にどんな言葉が刷られているか、同じジャンルの本がどんな順番で並んでいるか。自分で本を出すようになってから、書店の見え方が完全に変わってしまった。
平積みの前で、立ち止まる時間が長くなった
いちばん変わったのは、平積みの前での過ごし方だ。
以前は通り過ぎるだけだった場所で、いまは五分くらい黙って立っている。表紙のどこに文字が置かれているか。タイトルは何文字か。サブタイトルは何を補っているか。同じ棚に十冊並んだとき、どれが最初に目に入るか。それを、半ば無意識に数えている自分がいる。
これは電子書籍を作るうえでも、けっこう役に立った。画面の中のサムネイルは小さいけれど、書店の平積みも、実は似たような競争をしている。ぱっと視線が落ちる場所は限られていて、そこに何を置くかで、手に取られるかどうかが決まる。紙の棚は、その縮図を実物大で見せてくれる。
ただ、正直に言うと、少し疲れる見方でもある。本を「読む対象」ではなく「作られた物」として見てしまうから、純粋に楽しめない瞬間がある。映画を観ながらカメラの位置ばかり気にしてしまう人の気持ちが、今なら少しわかる。
背表紙は、思っているより読まれていない
棚差しの本も、よく見るようになった。
平積みされるのはごく一部で、大半の本は背表紙だけを見せて立っている。あの細い面積で伝えられることは、本当に少ない。タイトルの頭のほうだけが読まれて、あとは視線が滑っていく。実際、自分が棚の前を歩くときも、背表紙の最初の数文字しか見ていない。
このことに気づいてから、タイトルの付け方について考え直した。長いタイトルにたくさんの情報を詰め込みたくなるけれど、実際に読者の目に入るのは先頭のほうだけかもしれない。電子書籍の検索結果でも、表示される文字数には限りがある。だとしたら、いちばん言いたいことを、なるべく前に置いたほうがいい。
もっとも、これは正解が一つに決まる話ではないと思う。ジャンルによって効く言葉は違うし、検索の仕組みも少しずつ変わっていく。ロイヤリティの条件や登録できる項目の細かいところも、時期によって変わることがあるので、そのあたりは最新はKDP公式で確認を、というのが正直なところだ。棚を見て学べるのは、数字ではなく、感覚のほうだと思っている。
それでも、棚は棚のままだった
そんなことを考えながら歩いていたら、店員さんが台車を押して通り過ぎた。新刊を並べ替えているところだった。
その手つきを見ていて、ふと、当たり前のことを思い出した。ここにある本は全部、誰かが書いて、誰かが並べたものだ。何万冊あっても、一冊ずつ書かれている。マーケティングの話も、タイトルの話も、その後についてくるものでしかない。
結局その日は、分析とはまるで関係のない小説を一冊買って帰った。表紙は地味だったし、タイトルも短くて、特に工夫があるようには見えなかった。ただ、最初の一行が良かった。それだけの理由で選んだ。
家に帰ってカバーを外したら、下から素っ気ない布色の表紙が出てきた。何も書かれていない、ただの色。それを見ていたら、なんだか安心した。

