出してから半年、レビューも感想もゼロのまま静かに並んでいる本が、私には一冊ある。放っておくのが正しいのか、手を入れるべきなのか。その本の前で立ち止まった話です。
出してから半年、感想がひとつも来ていない本が一冊ある。
レビューはゼロ。SNSで触れられたこともない。売れていないわけではない。月に数冊は、ぽつりぽつりと動いている。でも、読んだ人の声だけが、まったく届かない。
最初のうちは気にしていなかった。感想が来ない本のほうが普通だと、頭では知っている。ただ、他の本にはぽつぽつと反応があるぶん、その一冊だけが妙に静かで、書棚の隅で目を伏せているように見えてくる。
沈黙は、否定ではない
しばらく、あの本は失敗だったのだろうかと考えていた。テーマがずれていたのか、書き方が硬かったのか、そもそも誰の役にも立っていないのか。何も返ってこないぶん、こちらの想像はいくらでも悪いほうへ伸びる。
でも冷静に考えると、沈黙は否定ではない。
自分が読者だった頃を思い出せばいい。読んでよかったと思った本のうち、レビューを書いたものがどれだけあるだろう。ほとんど書いていない。よかったな、と思って、そのまま閉じて、次の本に移っている。感想を残すというのは、本を読むより何段階か重い行為なのだ。読了して、心が動いて、それを言葉にする気力があって、書く場所を開くところまで辿り着いて、ようやく一件になる。
つまり、届かないのは当たり前で、届いたときのほうが例外的なのだと思う。あの一冊が静かなのは、たまたま例外が起きていないというだけの話かもしれない。
そう考えたら、少しだけ肩の力が抜けた。
直すべきか、置いておくべきか
とはいえ、何もしないと決めたわけでもない。
反応がないという事実そのものは、情報として無視しなくていい。ただし、その情報を「読者の評価」と読むのは早すぎる。感想が来ない理由は、中身以外にもいくらでもある。そもそも最後まで読まれていないのかもしれないし、読まれる導線に乗っていないのかもしれない。読み放題での読了ページ数のような数字は管理画面から見えるので、そちらを先に眺めるほうが筋がいい。何がどう表示されるかは変わりうるので、最新はKDP公式で確認を。
数字を見て、それでも読まれた形跡があるなら、中身は致命的ではないのだろう。読まれた跡が薄いなら、直すのは本文ではなく入口のほうだ。タイトル、表紙、説明文。感想が来ないという悩みは、案外そのあたりに原因がある。
私の場合、見てみると読了の跡はそれなりにあった。だから、しばらく置いておくことにした。書き直したい箇所がないわけではないけれど、静かだからという理由だけで手を入れると、たぶん元の良さまで削ってしまう。
誰かの本棚では、生きている
ときどき想像することがある。
あの本を読んだ誰かが、いま、私の知らない街で暮らしている。読み終えたことすら忘れているかもしれないし、ふとした拍子に一節だけ思い出しているかもしれない。どちらでもいい。ただ確かなのは、その人が読んだという事実は、私に何も知らせないまま、ちゃんと起きたということだ。
感想は、本と読者のあいだに起きたことの、ごく一部の写しでしかない。写しが届かないからといって、本体がなかったことにはならない。
書く側は、どうしても手元の反応で物事を測ってしまう。届いた声の数だけが読まれた証拠のように思えてくる。でも実際には、声にならなかったほうが圧倒的に多くて、私たちはその大きな沈黙のほんの端っこだけを、たまたま見せてもらっているにすぎない。

