表紙も本文も、書きたいことを全部のせようとして、いつも文字が多すぎた。減らすのが怖かった時期の話と、余白のほうが読者に効くと気づいた日のこと。
自分の原稿を印刷して読み返したとき、最初に思ったのは「うるさいな」でした。
内容がうるさいのではありません。文字が、詰まりすぎている。行間が狭く、一段落が長く、ページの端から端まで黒い。書いた本人が読むのをためらう密度でした。
書いているときは、そんなことに気づきません。画面のなかでは、文字はただの文字です。スクロールすればいくらでも下に続くので、長さの感覚が麻痺していく。紙に落として初めて、これは読む人にとっての「面積」なんだと分かりました。
減らすのが、こわかった
しばらくのあいだ、私は文字を減らせませんでした。
理由は単純で、削ると損した気がしたからです。せっかく調べたこと、せっかく思いついた言い回し、せっかく整えた具体例。どれも自分にとっては手間の記憶がくっついていて、消すと手間ごと消える気がする。だから、ぜんぶ入れる。入れたぶんだけ、親切な本になっていると思い込んでいました。
表紙でも同じことをやりました。タイトルを入れ、サブタイトルを入れ、帯のような一文を入れ、著者名を入れ、ついでに「初心者向け」と書き足す。情報は多いほど伝わるはずだと考えていたのです。
でも、実際に読者が本を見る時間は短い。一覧のなかで、小さなサムネイルとして、ほかの何十冊かと並んで表示される。そこで五つの情報を同時に置くと、五つとも読まれないまま流れていきます。三つでも多いかもしれない。私はそれを、自分の本が誰の目にも留まらない時期を通して、じわじわ理解していきました。
減らすのがこわいのは、たぶん、減らした自分に自信がないからです。文字が多いと、なんとなく仕事をした気になれる。空いた場所には、自分の判断だけが残ります。それが心もとない。
余白は、読者の場所だった
考え方が変わったのは、人の本を読んでいるときでした。
いい本だなと思ったページを見返すと、たいてい余白があります。段落が短く、章の切れ目で一拍おいてくれて、こちらが考えるすきまが空いている。書き手が全部言い切っていない。その空いたところに、読んでいる自分の経験が入ってくる。
ああ、余白って、書き手が使い残した場所じゃなくて、読者の場所なんだなと思いました。
そう思ってから、自分の原稿の削り方が少し変わりました。前は「無駄な文を消す」つもりで削っていたのですが、いまは「読む人が考える場所を空ける」つもりで削っています。同じ作業なのに、気分がまるで違う。消しているのではなく、譲っている感じがする。
具体的には、一段落を短くしました。同じことを言い直している箇所を、片方だけにしました。例を三つ並べていたところを、いちばん自分に近い一つだけ残しました。表紙の文字も、タイトルと著者名だけにして、あとは全部やめました。
文字数は減りましたが、伝わる量が減った気はしていません。むしろ、残したものがようやく見えるようになった、という感じです。全部を大きな声で言うと、結局どれも聞こえないんですね。
引き算は、あとからでもできる
とはいえ、最初から上手に引き算できる人は少ないと思います。私も無理でした。
だから最近は、まず足せるだけ足して書いて、あとから引くようにしています。書いている最中に削ろうとすると、単に手が止まる。書き終わってから、印刷して、赤ペンで減らす。この順番がいちばん自分に合っていました。

