本を出すと、時々ひとから感想をもらう。ありがたいはずなのに、返す言葉がうまく見つからない。あの気まずさの正体を、少しだけ考えてみました。
先日、知り合いに「あの本、読んだよ」と言われた。
自分で書いて自分で出した本の話だ。うれしいはずだった。実際うれしかった。でも、そのあと三秒くらい、何も言えなかった。
「ありがとうございます」は言った。言ったのだが、その先が続かない。相手も相手で、たぶん「感想を言うべきかどうか」を迷っている顔をしていた。二人でしばらく、コーヒーカップの縁のあたりを見ていた。
書くときはあんなに言葉が出てくるのに、読まれたあとの言葉は、まるで準備がない。
感想は、返事を待っていないことがある
あとで考えてみて、たぶんこういうことだと思った。
感想というのは、必ずしも会話の始まりではない。相手はただ、読んだという事実を置いていっただけかもしれない。それなのに私は、勝手に「ここから何か気の利いたやりとりが始まるはずだ」と身構えていた。だから固まった。
書き手というのは、思っている以上に、読者との距離感を測りかねている。顔の見えない相手に向けて何万字も書いておきながら、目の前の一人が「読んだよ」と言った途端、どう立てばいいか分からなくなる。紙の上でなら、いくらでも言葉を直せる。会話は直せない。
レビュー欄でも似たことがある。星がついて、短い一文が添えられている。それを何度も読み返して、返信できるわけでもないのに、頭の中で返事を書いている。「そこを読んでくださったんですね」とか、「その章、実はいちばん迷ったところなんです」とか。誰にも届かない返事を、ひとりで何通も。
受け取るのも、たぶん技術のうち
書く技術の話はよく聞く。構成のつくり方、読みやすい文章、表紙の見せ方。KDPまわりの手順も、調べればいくらでも出てくる。ただ、出したあとの自分の身の置き方については、あまり教わらない。
たとえば褒められたとき。「いえいえ、そんな」と反射で否定してしまう癖が私にはある。これは謙虚なのではなく、たぶん逃げている。相手はわざわざ時間を使って読んで、わざわざ言葉にしてくれたのに、それを軽く扱っているようなものだ。
かといって「ですよね、あそこは自信作でして」と返すのも、自分の柄ではない。
最近は、間をとることにしている。すぐ何か言わなくていい。「読んでくださったんですね」と、事実だけをゆっくり返す。それで会話が続けば続けばいいし、続かなければそれでもいい。感想は、必ずしもキャッチボールではないのだから。
沈黙も、たぶん受け取っている
もうひとつ気づいたことがある。感想をくれる人は、ごく一部だということ。
売れた冊数と、届いた言葉の数は、まったく釣り合わない。読み終えて、静かに閉じて、それきりの人のほうが圧倒的に多い。私自身、読者としてはそちら側だ。よかったと思った本の著者に、何かを伝えたことは、ほとんどない。
そう考えると、あの三秒の気まずさは、かなり贅沢な種類の気まずさだったのかもしれない。言葉にしてもらえたから、返事に困れたのだ。困る機会すら、そう多くはない。
数字の話をすると、印税やロイヤリティの条件は時期によって変わることがあるので、最新はKDP公式で確認を、といういつもの但し書きを置いておく。ただ、感想の数だけは、どこにも表示されない。集計もされない。誰かの中で静かに終わっていく。

