読み放題で本が読まれると、めくられたページの分だけ数字が積まれていく。その数字は、どこまで読まれたのかを、静かに教えてくれる。時々、少しだけ痛いところも。
本を一冊出すと、売れた冊数のほかに、もうひとつ気になる数字が増える。読み放題で読まれた、ページの数だ。
めくられた分だけ、積まれていく
Kindleには、月額で読み放題になる仕組みがある。そこに登録した本は、買われた瞬間ではなく、読者が実際にページをめくった分だけ、印税が計算される。一冊いくら、ではなく、一ページいくら、の世界だ。
これが、なかなか不思議な感覚だった。買って本棚に置かれて終わり、ではない。誰かが今、このページを開いている。そのことが、翌日には数字になって返ってくる。ページ単価がいくらになるかは月ごとに変わる仕組みなので、正確なところは最新のKDP公式で確認してほしいのだけれど、金額そのものより、読まれているという事実のほうが、私にはずっと大きかった。
冊数は、期待の数字だ。表紙とタイトルで、手に取ってもらえたかどうか。けれどページ数は、中身の数字になる。開いたあと、その人がどこまで進んでくれたか。前者は入口の話で、後者は、部屋の奥まで入ってもらえたかの話だ。
どの章で、手が離れたか
ある日、日ごとのページ数のグラフを眺めていて、気づいたことがあった。読まれ方が、途中でぴたりと鈍る。おおよそ、真ん中あたりの章だった。
最初は、単純に落ち込んだ。ああ、あそこで閉じられてしまったのか、と。自分ではいちばん書きたかった章が、どうやら読者にとっては、足を止めさせる章だったらしい。
でも、しばらくして思い直した。どこで手が離れたのかが見える、というのは、書き手にとってむしろ贈り物なのだ。感想が届くことは、そう多くない。星の数も、理由までは教えてくれない。それでも、めくられたページの数だけは、静かに正直だった。ここは重かったよ、と、言葉を使わずに伝えてくれる。
紙の本なら、たぶん一生わからなかった。読者が枕元でうとうとと本を閉じた、その瞬間を、著者が知るすべはない。電子書籍の数字は、少しだけ無遠慮に、けれど誠実に、それを見せてくる。
数字の向こうに、いる人
だから今は、あのグラフの折れ曲がりを、責められているとは受け取っていない。あそこに、一人の読者がいたのだ。夜、少し疲れた指で、そっと画面を閉じた人が。
次に書くときは、その人がもう少し先まで来られるように、道を平らにしておこう。派手な仕掛けではなくて、段差を一つ削るくらいの、地味な直しでいい。
読まれた冊数を数えるのは、たしかに嬉しい。けれど本当は、途中で閉じられたページのほうから、学ぶことのほうが多いのかもしれない。今日もどこかで、誰かが私の本を、静かに開いたり、閉じたりしている。その気配だけを頼りに、また次の一行を書く。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

