経済的自由を手に入れて、働かなくてよくなった人たちが、なぜかその先で文章を書きはじめる。FIREのゴールの、さらに先にあるものについての雑感です。
FIRE——経済的自立と早期リタイア。数字上の目標を達成して、働かなくても暮らしていけるようになった人たちの話を、ここ数年よく見かけるようになった。
おもしろいのは、その人たちの少なくない割合が、リタイアした「あと」に、ブログを書いたり、本を出したりしはじめることだ。もう働かなくていいはずなのに。
自由の、置き場所
たぶん、こういうことだと思う。お金の問題が片づくと、次に立ち上がってくるのは「この時間と自由を、何に使うのか」という問いだ。
そして人は、案外「誰かの役に立ちたい」「自分の考えを残したい」という、地味で古くさい欲求に戻っていく。FIREはゴールに見えて、実は「何をしても自由」という、ちょっと途方に暮れる出発点でもあるのだ。
書くことは、いちばん安い自己表現
その置き場所として、書くことはよくできている。元手はいらない。誰かの許可もいらない。自分の中にあるものを、そのまま形にできる。
しかも電子書籍にすれば、それが小さな収入も生む。生活のためではない、けれど「読まれた」という手応えのある収入。FIRE後の人がKindle出版に流れてくるのは、お金のためというより、この手応えのためなのかもしれない。
FIRE前の人にも
そして皮肉なことに、この「書いて小さく稼ぐ」という営みは、FIREに向かっている途中の人にとっても、悪くない一手になる。
労働ではなく、資産のように積み上がっていく収入。一度出した本は、寝ている間も読まれ続ける。FIREのゴールも、その手前の道のりも、書くことは静かに支えてくれる。投資の話ではないけれど、これはこれで、ひとつの「不労所得の練習」なのだと思う。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

