読み手として物語に浸る楽しみと、書き手として「どう作られているか」を盗み見る楽しみ。本を出す側になると、読書の景色が少し変わります。最近の一冊から。
本を出す側になってから、読書の景色が少し変わった。純粋に物語に浸る自分の隣に、「これ、どうやって作ってるんだ」と覗き込むもうひとりの自分が座るようになったのだ。
これは、けっこう楽しい。
冒頭の一行を、盗み見る
たとえば、話題になっている小説を手に取ると、まず冒頭の数行に目がいく。書き出しでどうやって読者を引き込んでいるか。説明から入っているか、場面から入っているか、会話から入っているか。
Kindleには「サンプル」で最初の数ページだけ読める機能があるけれど、あれは読者にとっての試食であると同時に、書き手にとっては「冒頭で勝負が決まる」ことの証拠でもある。プロの冒頭は、例外なくうまい。
雑誌の、見出しの技術
小説だけじゃない。雑誌の中吊りや特集の見出しも、いい教材だ。限られた文字数で、通りすがりの人の足を止める。あれは、Kindleのタイトルづけやサブタイトルの設計と、根っこが同じ技術だと思う。
「〜の方法」より「なぜ〜は〜なのか」のほうが手が伸びる、みたいな肌感覚は、書店や電子書店を眺めているだけで少しずつ育っていく。
読むことは、いちばん楽しい取材
だから、本を書きたい人には、まずたくさん読むことをすすめたい。それも、好きなジャンルの、売れている本を。
物語として楽しみながら、書き手としてこっそり技術を盗む。この二重の楽しみを覚えると、読書が「いちばん楽しい取材」になる。積ん読も、そう思えば立派な仕入れである。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

