電子書籍しか出してこなかった私のもとに、初めて紙の見本が届いた。段ボールを開けるとき、少しだけ手が止まった。画面の中にしかなかったものが、その日、重さを持っていた話。
電子書籍を何冊か出しただけの私にとって、「本」はずっと画面の中のものだった。スワイプでめくれて、文字の大きさも変えられて、いつでも直せる。軽くて便利で、けれど、どこか手応えがなかった。
そんな私が、あるとき気の迷いのようにペーパーバックの見本を注文した。KDPでは、電子書籍と同じ原稿から紙の本も作れる。印刷や配送のしくみは年々変わるので、料金や仕様の最新はKDP公式で確認してほしいのだけれど、とにかく私は「一冊だけ」自分宛てに刷ってみた。
画面の外に出るということ
数日後、玄関に小さな段ボールが届いた。差出人は印刷所の名前で、なんだか他人の荷物みたいだった。開けるとき、少しだけ手が止まった。中にあったのは、まぎれもなく自分の書いたものだった。
持ち上げて、驚いた。重かったのだ。たいした厚みでもないのに、手のひらにずしりと来る。画面の中では一グラムもなかったものが、ここでは確かに質量を持っている。ページをめくると、紙の擦れる音がした。あの、図書館でしか聞かないような音が、自分の本から鳴っている。それだけのことが、妙にこたえた。
手触りは、正直だ
うれしさの次に来たのは、気まずさだった。紙にすると、粗が見える。
画面では気にならなかった余白が、紙だと広すぎたり詰まりすぎたりする。見出しの位置も、行間も、指でなぞると違和感がはっきりわかる。おまけに、あれだけ読み返したはずの本文から、誤字がひとつ出てきた。電子書籍のときは何度見ても素通りしていたのに、紙になったとたん、そこだけ盛り上がって見えるのだ。
紙は正直だな、と思った。逃げも隠れもせず、直せもせず、ただそこにある。電子書籍の「あとから直せる」やさしさに、私はずいぶん甘えていたらしい。この一冊は、もう直らない。その直らなさが、むしろ本らしかった。
誰にも見せない一冊
結局その見本は、誰にも見せていない。SNSに写真を上げるでもなく、家族に配るでもなく、机の端に立てて置いてある。
ときどき、書けない夜に手に取る。売れた冊数でも、順位でもなく、ただ「これは確かに出た」という事実だけが、そこにある。数字は日によって増えたり減ったりして、私の機嫌を勝手に上げ下げするけれど、この一冊の重さだけは、いつ持っても変わらない。
紙にする必要なんて、本当はなかったのかもしれない。電子書籍だけでも、本は本だ。それでも、一度くらい自分の言葉の重さを手のひらで量ってみるのは、悪くなかったと思う。
窓の外が暗くなって、部屋の灯りに背表紙が鈍く光る。まだ二ページ目でつまずいている次の原稿のことを、もう少しだけ、続きを書いてみようという気になっている。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

