星の数より、たった一行の言葉のほうが胸に残る。見知らぬ誰かからのはじめてのレビューを、私はしばらく開けずにいた。あの数日の、落ち着かない心の話を書いてみます。
通知が届いたのは、平日の夜だった。「あなたの本にレビューがつきました」。ただそれだけの一文なのに、スマートフォンを持つ手が、少しだけ止まった。
出したことは、ほとんど誰にも言っていない。家族にすら、ぼんやりとしか話していない。だからその一件は、私の知らない誰かが、私の知らないところで、わざわざ言葉を残してくれたということだった。うれしいはずなのに、私はしばらくアプリを開けなかった。
開けずにいた、数日のこと
こわかった、と書くと大げさに聞こえるかもしれない。でも近いのはたぶん、その感覚だ。何を書かれているのか、確かめるのがこわい。的外れなことを書いてしまった箇所を、ちゃんと見抜かれているんじゃないか。読みにくい、退屈だ、そう書かれていたらどうしよう。そんな想像ばかりが、寝る前にふくらんでいく。
面白いもので、書いているあいだは「読まれたい」と思っていた。読まれない日の静けさに、勝手に落ち込んだりもしていた。それなのに、いざ読まれた証拠を突きつけられると、今度はその中身がこわくなる。人の心はずいぶん身勝手にできている、と自分でも思う。
結局、開いたのは三日後だった。深呼吸をひとつして、指を滑らせた。
たった一行が、残したもの
星の数は、正直もう覚えていない。覚えているのは、そこに添えられた短い言葉のほうだ。うまくは要約できないけれど、「途中でふっと肩の力が抜けた」というような、そんな一行だった。
批評でも、絶賛でもない。ただ、読んでいるあいだにその人の中で起きたことが、静かに書いてあった。私が本の中でいちばん伝えたかったのは、たぶんまさにそこだった。狙って伝わったのか、たまたま届いたのかは分からない。それでも、まったく知らない誰かの時間に、自分の文章が少しだけ触れた。その事実が、思っていたよりずっと深く残った。
レビューの評価軸や表示のされ方は、プラットフォームの都合で変わっていく。件数や星の重みも、いつのまにか意味合いが変わることがある。だから数字そのものを追いかけるのは、正直あまり得意ではない。最新の扱いはKDP公式で確認するとして、私が握っておきたいのは数字ではなく、あの一行のような手触りのほうだ。
こわさと、うれしさのあいだで
今でも、新しいレビューがつくとやっぱり少し身構える。慣れる気配はない。ただ、こわさとうれしさが背中合わせなのは、たぶん自然なことなのだと、今は思えるようになった。人に読まれるというのは、そういう両面をまとめて引き受けることなのだろう。
言葉を差し出せば、言葉が返ってくることがある。返ってこない日も、もちろんある。そのどちらも含めて、書くという営みなのだと、あの三日間が教えてくれた。
次の通知が来たら、また少し手が止まるだろう。それでいい。こわがりながら、それでも開ける。そのくり返しの先に、たぶん次の一冊がある。
夜の画面を閉じて、私はまた、明日書くことの続きを考えはじめた。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

