著者名の入力欄で、手が止まった。本名でもない、けれど嘘でもない名前を、どうやって決めればいいのか。原稿より、たった数文字のほうが、ずっと難しい夜があった。
原稿はもう、あらかた書き終えていた。表紙の下絵もある。あとは出版の手続きを進めるだけ、というところで、思いがけない場所で手が止まった。著者名の入力欄である。
たった数文字。原稿用紙にすれば何十枚も書いてきたのに、その数文字が、どうしても決まらなかった。
本名か、そうでないか
はじめは本名で出すつもりだった。隠すようなことは書いていないし、堂々としていたほうが気持ちがいい。そう思っていた。
けれど、いざ入力しようとすると、指が止まる。会社の同僚が検索でたどり着いたら。親戚が本屋の話のついでに知ったら。べつに困ることは書いていないはずなのに、素の名前をそのまま差し出すのは、思っていたより勇気がいることだった。
かといって、まるきりの別名も落ち着かない。借り物の服を着て人前に立つような、どこか他人事めいた気分になる。本名でもない、けれど嘘でもない。そういう名前が、どこかにあるはずだった。
KDPでは、著者名に筆名を使うことができる。手続き上の登録名や税務の情報とは別に、表紙に載せる名前を決められる仕組みになっている。細かい入力の作法は変わることがあるので、最新はKDP公式で確認を、とだけ書き添えておく。ともあれ、名乗る名前は自分で選んでよい。その自由が、かえって私を立ち止まらせた。
名前は、器のようなもの
思いつくままに、いくつも紙に書いてみた。祖父の名から一字もらったもの。好きな季節をもじったもの。読みやすさだけを優先した、そっけないもの。
書いては消し、消しては書く。声に出して読んでみる。「◯◯著」と、背表紙に並んだところを想像してみる。しっくりくるものは、なかなか現れなかった。
途中で気づいたのは、名前を決めあぐねているというより、どんな書き手でいたいのかを決めあぐねているのだ、ということだった。名前は、中身を入れる器のようなものだ。器の形を選ぶには、そこに何を盛るのかが、自分でわかっていないといけない。
肩肘張った名前をつければ、そのぶん背伸びした文章を書きたくなる。飾らない名前にすれば、飾らない言葉で書けばいい。数文字の中に、これから何冊も続くかもしれない自分の姿が、うっすらと映っていた。
それでも、名乗る
結局、決め手になったのは大層な理由ではなかった。何度も声に出すうちに、いちばん息をしやすかった読み。それだけだった。派手さはないが、呼ばれて振り返れる気がした。
登録を終えて、著者名の欄に自分で選んだ名前が収まると、妙に静かな心持ちになった。まだ一冊も世に出ていないのに、書き手としての輪郭が、ほんの少しだけはっきりした気がしたのだ。
名前は、これから書くもので育っていくのだろう。今はまだ、真新しい器のように空っぽで、少しよそよそしい。けれど何冊か重ねるうちに、きっと手になじんでくる。
夜が更けて、画面を閉じた。名乗る名前がひとつ決まっただけの、ただそれだけの一日だったけれど、悪くない一日だった。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

