原稿は書き終えた。表紙も決めた。あとは押すだけ。それなのに、私はその三分間、椅子の上でずっと固まっていた。あの妙な緊張の正体を、今になって考えている。
原稿は書き終わっていた。誤字も三回読み返して直した。表紙も、悩んだ末に選んだ。価格も決めた。カテゴリーも入れた。あとは、画面の下のほうにあるボタンを押すだけだった。
それなのに、押せなかった。
正確に言うと、押すまでに三分かかった。たった三分だ。けれどその三分は、原稿を書いていた何十時間よりも、体感としては長かった。私はマグカップを持ち上げて、もう空だと気づいて、また置いた。そういう意味のない動作を、何度か繰り返した記憶がある。
押す前と、押した後のあいだにあるもの
なぜ固まったのか、あとから考えてみた。
たぶん、押す前までは、その本はまだ「私の中のもの」だったからだと思う。誰にも見られていないし、誰にも評価されていない。よく書けている気もするし、駄目な気もする。その両方を、自分の中に同時に置いておける。ふわっとした状態のまま、抱えていられる。
でもボタンを押した瞬間から、それは外のものになる。誰かが目次を見て、閉じるかもしれない。誰かが最後まで読んで、何も言わずに去っていくかもしれない。あるいは、誰も見つけないかもしれない。どれもありうる。そのどれかが実際に起きる世界へ、自分から入っていくことになる。
三分間の正体は、たぶんそれだ。可能性が、現実に変わってしまうのが惜しかった。
情けない話かもしれない。でも、書いたことのある人なら、少しは分かってもらえる気がしている。
結局、押した理由らしい理由はなかった
では何がきっかけで押せたのかというと、これが拍子抜けするほど何もない。
理屈で自分を説得したわけでもないし、覚悟が決まったわけでもない。ただ、三分ぐらい経ったところで、ふと「まあ、いいか」と思っただけだ。決心ではなく、諦めに近い。抱えているのが疲れた、という感じに近かったかもしれない。
そして押した。画面が切り替わって、審査中ですという表示が出た。それだけだった。ファンファーレは鳴らないし、誰も拍手しない。あまりにも静かで、少し笑ってしまった。
そのあと数時間で審査が通って、ストアに並んだ。審査にかかる時間は本や時期によって変わるので、目安を知りたい人は最新はKDP公式で確認を、としか言えない。私の場合は、思っていたより早かった。
不思議なもので、並んでしまうと、あの三分間の重さは消えていた。もう外のものになったのだから、抱えていた重さも一緒に手放したのだと思う。悩んでいたのは、私が持っていたあいだだけだった。
二冊目も、やっぱり少し固まった
これで慣れるかというと、そうでもなかった。
二冊目のときも、押す前に少し止まった。一冊目ほどではないけれど、指が一瞬迷った。三冊目でも、たぶん似たようなことをしていた気がする。時間は短くなったが、ゼロにはならない。
その一瞬の迷いは、なくさなくていいのかもしれない、と最近は思っている。あれは臆病さでもあるけれど、同時に、自分が書いたものを軽く扱っていない証拠でもある気がするからだ。何も感じずにボタンを押せるようになったら、それはそれで、どこか手放してしまったものがあるのではないか。

