白紙の画面がこわくて原稿が止まった日、本文をあきらめて目次だけを書いてみた。それが今では、私のいちばんの執筆術になっている。地図を先に描く、という話。
何冊目だったか、原稿がぱたりと進まなくなった時期がある。書きたいことは頭の中にあるのに、パソコンの前に座ると、どこから手をつけていいのか分からない。白紙の画面というのは不思議なもので、じっと見ていると、こちらの覚悟を試されているような気持ちになってくる。
その日、私は本文を書くのをあきらめた。代わりに、目次だけを書いてみることにした。第一章はこんな話、第二章はこんな話、と見出しを並べていく。文章ではないから、うまく書こうという力みがない。三十分ほどで、一冊分の骨組みができてしまった。
あれ、と思った。さっきまであんなに重かった原稿が、急に軽く見える。
白紙がこわいのは、地図がないから
考えてみれば当たり前のことで、行き先の分からない道を歩くのは、誰だって不安だ。原稿が進まないとき、私は「書けない」のではなくて、「どこへ向かえばいいか分からない」だけだったのだと思う。
目次は、地図だ。それも、未来の自分に宛てた地図。今日の自分が「この順番で話すと伝わるはずだよ」と書き残しておけば、明日の自分は迷わずに歩ける。一つの見出しの下に書くことは、せいぜい数ページ分。白紙の本一冊と向き合うのはこわいけれど、見出し一つ分なら、なんとかなる気がしてくる。
読者にとっても、目次は同じ役割をしてくれるらしい。電子書籍は買う前に試し読みができて、目次はそのいちばん最初に目に入る。本文を一行も読まなくても、目次を眺めれば「この本は自分の知りたいことに答えてくれそうか」がだいたい分かる。書き手のための地図が、そのまま読み手のための案内板になる。ちょっと得な話だと思う。
目次も、あとから変わっていい
ただし、白状しておくと、最初に書いた目次のまま完成した本は、私には一冊もない。
書いているうちに、章の順番を入れ替えたくなる。二つの章が実は同じ話だったと気づいて、一つにまとめる。逆に、一行のつもりで書いた話が膨らんで、章に昇格することもある。目次は設計図というより、下書きの下書きくらいのものだ。
それでいいのだと思う。地図は、歩きながら描き直すためにある。最初の目次の役目は、正確であることではなくて、「とりあえず歩き出せる」ことだから。
電子書籍なら、出版したあとでも原稿を直して更新できる。細かい手順や仕様は変わることがあるので、最新はKDP公式で確認をしてほしいけれど、紙の本と違って「刷ってしまったら終わり」ではない、というのは書き手の心をずいぶん軽くしてくれる。目次でさえ、出したあとに直せるのだ。
今日も私は、次の本の目次を眺めている。本文はまだ一行もない。でも、地図はもう手の中にある。明日の自分が、見出し一つ分だけ歩いてくれれば、それでいい。
※この随筆は個人の見解・体験にもとづく読み物です。お金・税・法律に関わる話は一般論であり、 実際のご判断は必ず公式情報や専門家でご確認ください。

